Once A Raider

WR ジェイムス・ジョーンズはNYGへ

 

元レイダースで今季の所属先決まっていなかったWRジェイムス・ジョーンズがニューヨーク・ジャイアンツへ移籍することが明らかになりました。

 

ジェイムス・ジョーンズ

WRジョーンズの新天地はジャイアンツ、1年契約で合意へ(NFLJAPAN.com)

 

 

昨季は新人QBデレク・カーのメインターゲットとして活躍、レシーブ73回、666ヤード、6タッチダウンをあげています。

 

今季31歳となるベテランの新天地はイーライ・マニング率いるジャイアンツ。

 

ジャイアンツのWRには昨季の新人王オデル・ベッカムJr.やケガからの復活を期すエースのビクター・クルーズらがいます。

 

キャンプからアピールして開幕ロスターに残れるように頑張って欲しいですね。

 

 

ガラスのエース…

 

ダレン・マクファデン

 

私のかつてのアイドル、ダラス・カウボーイズのRBダレン・マクファデンがキャンプを前にPUPリスト入りだそうです。

 

Cowboys RB Darren McFadden to start training camp on PUP because of hamstring injury (cowboysblog.dallasnews.com) ※英語です

 

“まぁ…だろうね…(>_<)”

 

って感じです。

 

DMCってさ、プロ入って健康だったことあるのかしら…?

 

カウボーイズ・ファンのみなさん、彼は才能あるんです…でも、期待してはいけません(>_<)

 

 

 

#81 WR ティム・ブラウン

 

#81 WR ティム・ブラウン

 

NFL通算1,094キャッチ(歴代5位)、レシーブ14,934ヤード(歴代6位)、TDレシーブ100回(歴代7位)、プロボウル選出9回。

 

輝かしい記録を残したティム・ブラウンは90年代を代表するワイドレシーバーだ。

 

そして遂に今年、フットボール殿堂入りを果たす。
7月22日はレイダースの名レシーバーが殿堂者として初めて迎える誕生日でもある。

 

#81 WR ティム・ブラウン

 

“タッチダウン・ティミー”

 

高校時代は弱小チーム所属ながらその才能はスカウトの目にとまり、多くの強豪大学から誘いを受ける。
その中から名門ノートルダム大学を選んだブラウンは1年生から活躍、持ち前のスピードを活かしリターナーやランもこなすマルチタレントぶりを発揮した。

 

#81 WR ティム・ブラウン

 

当時のノートルダム大を率いるのは名将ルー・ホルツ。
彼との出会いがその後のキャリアに大きな影響を与えたことは想像に難くない。

 

4年次には、その年の大学フットボールで最も活躍した選手に贈られるハイズマン賞を受賞。
これはWRとしては史上初の快挙であった。

 

大学通算22TDを記録し“タッチダウン・ティミー”と呼ばれたブラウンだが、ボウルゲームでの勝利とは無縁であった。

 

Mr.Raider

 

#81 WR ティム・ブラウン

 

1988年のドラフトで1巡全体6位でロサンゼルス・レイダースから指名されると、1年目からプロボウルに選ばれる活躍。
1993年からは9シーズン連続してレシーブ1,000ヤード以上を記録している。

 

レイダースが本拠地をオークランドに戻した後もミスター・レイダーとして孤軍奮闘、チームを引っ張っていった。

 

 

16年間の現役でプレイオフ出場はわずかに6回と勝ち運には恵まれなかったが、それでもキャリア終盤となった14年目の2002年になって初めてスーパーボウルに勝ち進んだ。

 

多くのレイダーネイションはティム・ブラウンにスーパーボウル優勝リングをと望んでいた。
数々の記録を残してきた彼に足りないものがあるとすれば、それは優勝という結果だけだと誰もが知っていたからだ。

 

ジェリー・ライスとティム・ブラウン

 

この年のレイダースはQBリッチ・ギャノンにRBチャーリー・ガーナー、WRにはティム・ブラウンとジェリー・ライスを擁したリーグ最強のオフェンス陣を誇ったが、タンパベイ・バッカニアーズとのスーパーボウルでは前年までレイダースのHCを務めた敵将ジョン・グルーデンに封じ込まれ惨敗を喫した。

 

この試合、ティム・ブラウンはわずか1回のレシーブで9ヤードの獲得に終わった。

 

結局、一度もチャンピオンになることなく2004年の開幕前にレイダースからリリース、バッカニアーズでのプレイを最後に現役を引退した。

 

#81 WR ティム・ブラウン

 

 

奇しくも同じ2004年シーズン途中でギャノンが負傷、そのまま引退、ジェリー・ライスもシーズン途中でトレードに出されると、チームは今日まで続く長い低迷期に陥ってしまった。

 

 

 

史上最高のサウスポー、“ザ・スネーク” ケン・ステイブラー

 

1970年代、名将ジョン・マッデンに率いられたレイダースは最初の黄金期を迎えた。

素行のよろしくない荒くれ者や気難しい職人気質の選手達が集まったこの頃のレイダースは、他のチームが持て余す強烈に個性的な選手の集団だった。

 

ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー

そんなチームのリーダーは左利きの名QB、“ザ・スネーク”ことケン・ステイブラーだ。

 

 

ザ・スネーク

当時としては珍しいサウスポー、“ザ・スネーク”の異名の通り左右にロールアウトしながら、ややサイドスロー気味に投げるパスは抜群の成功率を誇り、1974年にはリーグMVPを獲得、更に1976年にはミネソタ・バイキングスを破り第11回スーパーボウルを制覇した。

 

ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー

決して強肩ではないが、ステイブラーと殿堂入りWRフレッド・ビレトニコフや快速レシーバーのクリフ・ブランチ、TEのゴーストことデイブ・キャスパーらとのパス・オフェンスはリーグを席巻し他チームの脅威となった。

 

ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー

また個人でも4度のプロボウル選出など輝かしい実績を残したレジェンドで、レイダーズに在籍した12シーズンで記録したパス成功1,486回、パス獲得19,078ヤード、150TDパスは今だ破られていないチーム記録でもある。

 

ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー

しかし、ステイブラーが残した記録のなかでも特筆すべきはその勝利数と勝率だ。

特に接戦や負けている試合においての集中力は驚くべきもので、NFLフィルムズが選ぶクラッチQBベスト10の第6位にランクインするほどの勝負強さを発揮した。

 

また、その集中力と勝負強さはまるでマンガのような展開を生み出し、いわゆる「ゴースト・トゥ・ザ・ポスト」や「ホーリー・ローラー」など数多くの名場面を演出、幾多の名勝負を繰り広げてきた。

QBの最も重要な仕事がチームに勝利をもたらすことであるならば、ケン・ステイブラーこそエースと呼ぶに相応しい、史上最高のQBの一人であろう。

 

ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー

その功績はもっと賞賛されて然るべきものだと私は考える。

 

史上最高のサウスポー

ケン・ステイブラー
この史上最高のサウスポーは、どこかニヒルでクールな男でもあった。
その笑顔とウインクで相手ディフェンスの敵意を削ぎ、あるいは逆撫でし、多くの女性ファンを魅了した。

 

お行儀の良くない他のチームメイト達と同様、それがレイダースの流儀でもあったのだが、ステイブラーも夜な夜な出掛けては朝方まで遊びまわっていたという。
それでもプロ選手としての自覚を失うことは無く、ジュークボックスの灯りでプレイブックの勉強をしていたという逸話もあるぐらい勝つための努力を惜しまなかった。

 

ケン・ステイブラーケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー

今となっては、なかなかお目にかかれないタイプの選手だが、史上最高のサウスポーは古き良き時代を生きていたのかもしれない。

 

 

ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー
ケン・“ザ・スネーク”・ステイブラー   享年69歳

謹んで哀悼の意を表すると共に、その功績を称えます。

史上最高のサウスポー、元レイダースQBステイブラー氏が死去(NFLJAPAN.com)